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◆Les femmes dans le tourbillon
渦の中の女たち~今こそ、女性は太陽である。
9月23日@愛知県芸術劇場コンサートホール
(あいちトリエンナーレ2019舞台芸術公募作品)

100年前、女性の人権回復を希求して、平塚らいてうは雑誌『青鞜』の創刊号でこう嘆いた。
「元始、女性は実に太陽であった。真正の人であった。今、女性は月である。他に依って生き、他の光によって輝く、病人のような蒼白い顔の月である」
タイトルの副題はこれにあやかる。

名古屋を拠点に活躍するダンサー、倉知可英さん(50)ら14人の女性たちが渦を巻き起こそうと、邦楽や洋楽、詩の朗読、ヘッドドレスなど異なる領域のパフォーマンスを組み合わせて新作の舞台を創りあげた。「情の時代」をテーマにするあいちトリエンナーレで発表するため集まった女戦士たち。表現したのは、悲しみ、憎しみ、孤独、欲望、喜び、愛の六つの感情だ。

冒頭、吉田文さんのパイプオルガンが暗闇のホールに雷を振り下ろすかのように響き渡り、空間を支配した。ステージ中央に現れた手足の長い加藤おりはさんのスペイン舞踊の動きで、観客の視線をくぎ付けにした。さあ幕開けだ。
Il va faire du soleil. 太陽の光はかざすのか。
再び、太陽として輝きを放つのだろうか?

フランスのカンパニーでコンテンポラリーダンスの技術を磨いた倉知さんはダンスの枠を超えた幅広い活動をしており、あいちトリエンナーレでは過去2回コラボ作品に挑戦してきた。昨年の名古屋をどりでは、日本舞踊の西川千雅家元と競演した。乳がんの闘病を乗り越えて6年。そのうえ50歳にさしかかっての身体表現は、端唄・三味線の華房小真さんや箏の笹野大栄さん、篠笛・能管のはだひかるさんらの伝統芸能とは異なり、肉体の限界との闘いである。今回は倉知さんの演出に注目して鑑賞した。

ダンスを軸に空間を支配して魅せる演出にしたならば、もっと容易なことだったのだろう。加藤さんにしても、倉知さんにしても既に自分の世界を確立しているダンサーである。2人による本格的なデュエットがなかったのは残念だが、ステージに上がった11人の個性を融合して新しい舞台芸術を紡ぎ出すことに腐心した苦労と苦悩が伝わってきた。

音楽は他にバイオリンの大橋淑恵さん、キーボードのMineyoさん、ソプラノの毛利美奈子さん、ピアノの山内敦子さん、朗読・ヴォイスを児玉たまみさんが受け持った。音楽家たちは担当した感情に合わせて作曲、演奏した。パイプオルガンの吉田さんのため新曲を書いたのはドイツ人の夫、トーマス・マイヤー=フィービッヒさん。二人三脚による重低音の旋律が空間の縦軸を貫き、ステージで繰り広げられた横軸の動きと絡ませて立体的な舞台に仕上がった。倉知さんの演出によって、はださんや毛利さんら音楽家たちも動かされた。

舞台制作は、作家の長谷川陽子さんが書き下ろした6編の詩から始まっている。黒い衣装に華やかなヘッドドレスがひときわ映えた。帽子・布花作家の山中章子さんの汗の結晶だ。フォトグラファーのkana sonodaさんはこの素敵なポートレートを撮影して「渦の中の女たち」をフライヤーに封じ込めた。これに目を留めて訪れた来場者もさぞ多かったのではないだろうか。ステージに上がらなかった舞台裏の女性3人の活躍が光った。

1時間50分のステージを通して太陽のような女性のたくましさ、温かさ、あるいは、弱さを感じ取った人もいるだろう。個人的には、女性は太陽にも月にもなっていいと思う。平塚らいてうが憂えて1世紀が過ぎても、世界じゅうに#MeToo運動や女性差別がはびこり、女性の社会進出を閉ざすガラスの天井がある。男とか女とか役割やジェンダーを超えて多様な価値観が認められる時代が到来してほしいと願う。(山田泰生)

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